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「ききみみずきん」-ハッピーエンドは…

昨日twitter(@mie756)で紹介した旧巻町(現在新潟市)の若いママが書いた童話をお読みください。

最初に、童話が生まれた背景を簡単に紹介します。

ご存知のように、発表以来34年の月日をかけた町の人々の様々な取り組みにより、東北電力は2003年に巻原発建設計画を取り下げました。

とどめの一発は住民投票の実施でした。

実は、巻原発に係る住民投票は1995年と1996年の2回実施されています。

1995年1月~2月にかけて実施された住民投票は、前年秋に結成された「巻原発住民投票を実行する会(実行する会)」という組織が、町長に住民投票実施を断られたために公職選挙法に準じて投票場から立会人まで最大限の公正さを担保しながら実施した「自主住民投票」です。

議員や首長の選挙投票日は1日かぎりですが(期日前投票を除けば)、自主住民投票では、できるだけ多くの町民が投票できるよう、会場も各地区に設け、時間帯も夜間をふくめ、投票期間も長く(1月22日~2月5日)設定されました。

結果は、投票率45.4% 原発反対9854(94.95%)原発賛成474(4.57%)と、圧倒的に反対がうわまわり、前年の町長選挙で当選した推進町長の得票数(9006)を超えました。

これにあわてたのか、東北電力は住民投票後1週間も立たない2月10日に、未買収地となっていた町有地売却を町長に申し入れ、町長は「あいよ!」とばかりに18日に売却のための臨時町議会を開くと表明しました。

東北電力が申し入れた翌日の朝7時過ぎ、4~5歳くらいの男のお子さんの手を引いた若いママが来て「これ、書いてみました。読んでください」と封筒を差し出しました。厳冬の朝、歩いてこられたのですから、我が家からそう遠くないところに住んでおられたと思うのですが、私も夫も会ったことのない人でした。おそらく「反対運動してる桑原さんってあそこの家の人」と知って届けてくださったのだろうと思います。

童話です。

「ききみみずきん」

昔々、げんじという、気立てのいい若者がおりました。

げんじはとても働き者でしたので、ある日、神様がごほうびとして村の村長にしてくれました。
げんじはたいへん喜び、村人のために、ますます一生懸命に働きました。

そして、月日がたち、げんじの髪にも白髪がまじるようになり、げんじも、だんだんと昔のすなおな男ではなくなってきました。

自分は村長なのだから村のことも村人のことも、すべて自分の思いどおりになる、自分にさからう者は話のわからんやつだ、自分よりえらい人間などいないのだと思うようになったのです。

そんなげんじのところへ、ある日、隣村のくまごろうがたずねてきました。

「げんじさん、わしは、こんど、おまえさんの村にりっぱな工場をたてようと思うのだが、土地を譲ってくれないかね」くまごろうは、ふところから、ずっしりと重い金の入った袋を出して、こういいました。

げんじは、その金をみたとたん、たちまち心を奪われてしまいました。

しかし、その工場はとてもおそろしい薬を使う工場で、その薬が流れ出て、工場の立った土地では、たくさんの人々が死んでいると言ううわさのあるおそろしい工場だったのです。

でも、げんじは、くまごろうのたくみな言葉とその大金に工場をつくることを承知してしまいました。

その夜、げんじの枕もとに神様が現れました。

「げんじ。おまえに、このききみみずきんを与えよう。これをかぶると、村人が工場をどう考えているか、本当の声が聞こえてくるのだ。村長として、村の人々の本当の声をよく聞いて、自分の私利私欲でなく、村人のために、はたらくのじゃぞ」

げんじが目を覚ますと、枕もとに赤いずきんがおいてありました。げんじは、それをかぶって、村の人々が大勢集まっているところへ行ってみました。

げんじをみると、腰のまがった年寄が頭をさげました。「おっかねえ薬を使う工場をつくらないでくれ」老人の心の声が聞こえました。

「子どものために、工場なんかいらねえ」子をおぶった若い母親の声も聞こえてきました。

どの村人もどの村人も、「工場なんかいらない。工場なんかつくらないでくれ」そう叫んでいました。

げんじは、全く話のわからん村人だと腹立たしくなりました。
「こんな大金がもうかる工場をたてないなんてわからん話はねぇ。おれさえよければ、村人なんか何人死のうが、かまうもんか。あいつらは、みな、おれより話がわからんのだから」

げんじは、そう考えると、その神様から授かったずきんをぬぎすてて、たき火のなかに投げ捨て、もやしてしまいましたとさ。

(童話の最後に、書き添えてありました)

―残念ながら、おはなしは今のところ、ここでおしまいです。ハッピーエンドでお話を子どもたちに話してあげたいために、私も投票に行きました。ハッピーエンドは、自分達で作っていくものだと思います。子ども達を守るために、私も、ささやかなことでいいから、自分にできる何かをやっていきたいと考えております。



臨時町議会は町内外から集まった大勢の人々の抗議でついに開会できず、その後の町議選で住民投票条例策定を公約にした議員が過半数を占め、6月に条例可決、紆余曲折を経て(推進勢力のまきかえしなど)条例を無視する町長をリコール、1996年1月に実行する会代表の笹口さんが町長に当選、その年の8月4日、条例にもとづく住民投票が実施されました。

結果は、投票率88.3% 原発反対12478(61.22%)原発賛成7904(38.78%)でした。

1994年秋から1996年8月までのおよそ2年間、旧巻町の人々は原発建設という問題に毎日向き合い続けました。「町の将来を決めるのは、巻町民なのだ」という実行する会の呼びかけに、しがらみを乗り越え、逡巡を乗り越え、自らの意思を育てあきらかにしていきました。その日々は、まさにハッピーエンドを作る日々でした。

(12月19日)
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